記憶の中と何も違わぬ寒さ、何も変わらぬ景色、違うのはあの時は草に覆われていた大地は一面の雪で隠されているという事でしょう。誰の足跡もない雪原は何も知らぬ生娘のように美しく、また無知でありました。この雪原は何も知りません。かつて雪原に倒れ込んだこどもが何を思い、何を夢見、何のために今日まで歩いてきたかを、何も。


 『長かったなあ。』

 臨也はくちびるの端に笑みを浮かべながらそう呟きました。無邪気で満ち足りた笑顔。足は、嬉しくてたまらないというように勝手にステップを踏みます。ああ、本当に長かった! 芝居がかった口調でもう一度同じ言葉を続け、臨也はそこでいちどくるりと向きをかえて振り返ります。そして、誰もが恋に落ちずにはいられない、魅惑的な笑顔を浮かべたままで口を開く。


 甘く。
 ただ、甘く。
 愛を謳うように。

 『まさかこんなに時間がかかるとは思ってもいなかった。そのうちにお前が死んだら――。そればっかり考えてたよ。』

 そして臨也は笑います。
 美しく。
 ただただ美しく。


 『でもお前は生きていた。』


 ――俺に殺される、そのために。




 『お前はもう忘れたかなあ。昔、――そう、本当に、俺がまだこどもだった時。お前はある修道女の命を奪った。思い出した? いいや、思い出さなくても構わない。俺が忘れていなかった、それだけが重要なんだよ。』

 さくり。

 『お前が命を奪った、あの女はね。』

 さくり。

 『俺にとっては命そのものだった。それが、ある日突然、奪われたんだ。悲しむなというほうが無理があるだろ? で、恨むな、っていうのもまた無理だ。そう思わない?』

 さくり。

 『だから、お前を、追ったよ。』

 ――そのために、情報屋なんてものにまでなってさ。
 そう言って、臨也は、嗤います。
 自分を。男を。人生を。すべてを。

 『俺に人生を与えたのがあの女だとしたら、俺の人生を変えたのは、他でもない、お前だよ。』

 さくり。

 『おめでとう。お前は報いを受け、俺は願いを叶える。』

 臨也は足を止め、雪原に無様に倒れ伏す男――、
 女の命を奪った男の眉間に、すっと照準を合わせて、ほほ笑みます。

 ただ、美しく。

 『悪魔? ああ、そうだね、俺は悪魔だよ。でも、お前だってそうだろ?』
 『あの日にお前は俺から大切なものを奪った。』
 『だから、いま、こうして奪い返しに来た。』
 『それだけだよ。』

 そして、臨也はそっと眼を伏せ――。


 その日が来るまで、私はいつまでもあなたを見守っているわ。


 再び、その赤い瞳を開いた時。




 雪原に、銃声が響き渡りました。