それから、星は巡り。


 草原に倒れ伏したこどもは、その後、幸か不幸か偶然通りかかった異邦人の夫妻によって発見され、そのまま病院へと連れて行かれました。幾晩か眠りを続け、それから眼を覚ましたこどもは、自分の運命がまったく予期せぬところへ流れ着くのをぼんやりと見つめ、見送りました。
 こどもを救った夫妻は、眼を覚ましたこどものうつくしさに魅せられておりました。一目でこどもの美貌に恋をした彼らは、自分たちの国へ来て、家族として一緒に暮らすことを提案したのです。赤い瞳は、確かにこの国では忌むべきものであるらしい。けれども自分の国では瞳の色など問題ではない。迎えに来る人もいないこのかわいそうなこどもを引き取り、瞳の色を頓着しない国に連れて行き、愛をめいっぱいに注いで、いつかは本当の家族になれたら。そう思い、夫妻は、こどもに手を伸べました。
 かつて、女がそうしたように。

 こどもはその提案を黙って受け入れました。
 こどもにとっての全てであった女がいない今、もはや何がどうなろうとも、こどもにとってはひと時の夢と同等。彼らの慈悲が見せかけのものであり、どのような扱いを受けようとも構わない。何があろうとも、もう、いい。もう“俺”は何も愛さないし、何にも心を許しはしない。
 あなたたちがそれでもいいと言うのなら――。

 こどもの了承を受け、夫妻は飛び上がらんばかりに喜びました。それから間もなく、こどもは夫妻とともに遥か極東の国へと渡り、最初の贈り物として名前を授かる事になったのです。
 夫妻は三日三晩にわたり、この玲瓏なこどもに似合いの名前を考えました。音が決まれば次はあざな、あざなが決まれば今度は音。ああでもないこうでもない、これはどうだろう? いいえそれでは彼の美貌に足りません。夫妻の話し合いに終わりはないかのように見えましたが、ある朝こどもが目覚めてみると、夫妻はにっこりと笑ってこどもの頬にキスを落として囁きます。わたしたちの愛しい子、あなたの名前が決まりましたよ。

 名前は祈りとなってこどもに降り注ぎます。夫妻の願いを込めた、その美貌にも劣らぬ美しい名前。

 ――運命に臨む者。

 臨也。


 この瞬間から、名もなきこどもの、“折原臨也”としての生が始まったのです。




 異国の地へ渡った臨也の生活は、それまでとはがらりと一変いたしました。
 誰もが臨也の容貌を褒めそやし、わずか2年足らずで同い年の子供と同等かそれ以上に言葉を扱えるようなったその聡明さを称えます。また、臨也のはすな見方とは裏腹に、夫妻は常に臨也を大切にし、誘いの言葉を裏切らずにめいっぱいの愛情をこの子供に注ぎました。それは草原で震えていたこどもが何よりも欲しがっていた愛情であり、夢を見た家族のかたちでありました。

 そうしたものを糧にして、臨也は成長を続けます。より美しく、より麗しく、より、匂い立つような青年に。
 臨也がほほえめば誰もが心を明け渡し、臨也がささやけばだれもが愛を誓わずにはいられません。臨也の一挙手一投足は、男も女も老いも若きもお構いなしに誰をも魅了いたします。異国で育った雰囲気がさらにその端麗さを増長させ、その白い肌は誰の手をも誘います。そしてあの赤い瞳はといえば、臨也が小学校を卒業した日を境にしてコンタクトレンズによって隠される事となりましたが、それでもなおその美しさが失われる事はありませんでした。角度によってちらと暗がりから赤い輝きが見えるのです。それは、まるで貞淑な淑女がちらりと見せる夜の色香のように誰もを誘いました。柘榴石のようなその輝きをもう一度見んと、誰もが臨也の眼に引き寄せられました。その不思議な瞳に、そして不思議な雰囲気に、なによりも美々しいその外見に。
 誰もが臨也の魅力の前には抗えない。そのような青年に、臨也は成長をしたのです。

 家族から注がれる無条件の愛情、見知らぬ他人から寄せられる憧憬や恋慕、そして絶対の美しさに対する崇拝にも似た感情。
 臨也は自身の事を決して美しいとは思いません。臨也の中で美しいのは、記憶の中の女だけ。ですので臨也は鏡の向こう側からどれだけ怜悧な男が見つめていようとも何も思いません。けれど一方的な愛情をぶつけられるうち、臨也は、その事実を知識として仕方なしに受け入れました。

 ――どうやら、俺には解らないけれど、俺のこの外見には価値があるらしい。

 ためしにと街角ですれ違う娘に目線を投げて微笑むと、効果はてきめん、相手は頬を染め、臨也を見、臨也に声をかけるのです! 何度も手を替え品を変え、相手を変えやり方を変えても結果は同じ。誰もが臨也にすり寄っては愛を告げます。あなたのためなら何だってできるわと言う女がいたかと思えば、君のためなら何だってするよと応じる男があちらに、ほら! 臨也がする事と言えば笑いかけるだけですのに、誰もが運命を捧げてもいいと臨也のもとにすり寄ってくるではありませんか!
 自分の美を真に理解する事なく知り、寄せられる恋慕の理由を知った臨也は、ひっそりと嗤いました。


 みんな馬鹿だ。
 馬鹿げてる。

 愛した人の死を願った自分がいるのだ。
 この世に愛などあるわけがない。

 本当の愛など、あるわけがない。


 「君さあ、俺のためなら何でもできるって言ったよね? じゃあそこから飛び降りて見せてよ。どうしたの、君が言ったんだろ? 俺のためなら何でもできるって。なら死んでくれ。はあ? 最低だなあ、言った言葉に責任ぐらい持ちなよ。はーあ、君も結局同じか。最初から期待なんかしてないから裏切られたとも思わないけど、こうもハズレばっかりだとさすがに面白くないなあ…。あれ? まだいたの? もう君に用はないからとっとと家に帰ってママに泣きついてきなよ。もっと簡単に言うなら、眼ざわり。」

 解ったろ? そんな軽々しく愛なんて口にするもんじゃないよ。


 この世に、愛なんてないんだから。


 そう。
 この世に愛はない。
 神もいない。
 ならば全てが赦される。ならば全てが愛おしい。
 この世に愛がないとなれば、俺は、全てを愛する事が出来る。




 それからの臨也が、その美貌と明晰な頭脳を活かし、簒奪者として、情報屋として世を駆けたのは、あるいは真実の愛を探すためなのかもしれません。あるいはただの好奇心。あるいは愉悦。あるいは退屈ゆえ。それとも何かを求めて? とにもかくにも、臨也は何かを埋めるように事件を求め、自らの優位を確認するように誰かを嘲笑い、息をするように誰かの呼吸を奪います。誰かの絶望は子守唄となって臨也を慰め、誰かの詰る声は愛の囁きとなって臨也を悦ばせます。そうした声が聞こえる度に臨也はほほ笑みます。奪う側に立っている事をまざまざと感じて、にっこりと、妖艶に。


 臨也が何を成そうともお構いなしに星は流れ、時間は過ぎ去ります。
 この時、臨也は21歳。いいえ、本当の年齢は違います。けれど臨也の時は永遠に変わらない。21歳の春を迎えた時に、臨也は自分の時を止める事を選びました。現実にどれほど時間が流れようと、永遠に21歳を騙り続ける事を決めたのです。
 なぜ?

 女が、時を止めた歳だから?


 いまだ、女は、臨也の中に?