何を書けばいいのか、正直、書き始めた今になっても解らない。いろいろと知りたい事がにはあるだろうし、俺にしたって書きたい事はたくさんあるはずなんだ。でも、それを言葉にしようとする前に、どうしても別の言葉が割り込んでくる。今から読む手紙は、きっと、支離滅裂で、が望む事など書いてないかもしれない。そんなものを遺していくのは俺の自己満足にすぎないし、もしかしたらにとっては何の意味もない、ただの弁解ばかりが並んでいるかもしれない。書いておいて、遺しておいて、本当に何をいまさらと自分でも思うけれど、何だったらここで読むのをやめて、捨ててくれてもいい。
 ――なんて、ね。こんな事を書いたところで、は全部読むんだろう。俺にしたって、読んでほしいから書いてるんだ。

 
 真実を知る事が常に最善とは限らないし、出来る限りにも自分にも誠実であろうとすれば、どうしても俺はを傷つけざるを得ない。この手紙を読み終わって、に何が残るのか、俺には解らない。責めたい事もあるだろう、でも、 その時、俺は隣にはいないんだよ。言い逃げだ。言いたい事を言って、すっきりして、告解して、死んでいきたい俺の我儘だ。

 黙って死んでいった事を、は、許さないかもしれない。何回も思ったよ。このまま黙っているべきなのか、それともに自分の病気のことを全て打ち明けるべきなのか。打ち明けるべきだったんだろう。でも、出来なかった。理由は俺にも正直に言って解らない。・・・先のない事を教えるのが、怖かったのかもしれない。割り切って、もう俺はいなくなるから、は独り立ちしなよって背中を押す事も出来なかった。だからって、最期まで傍にいてほしいとも言えなかった。笑うかもしれないし、怒るかもしれないけど、 格好つけていたかった。
 何より、 の傍で、笑っている時は、どうしてか自分の死がひどく遠く思えた。夢で言われた言葉みたいにも思えたし、あんなのは医者の嘘っぱちで、ばかげた冗談に思えた。死ぬなんて嘘だ、なんだ、ヤブ医者。そう思ったよ。
 ・・・ こんなに、幸せで、満ち足りているのに、俺が死ぬだなんて、嘘だって。


 だいたい、おかしな話だ。すべてを奪い取った俺が先にいなくなるだなんて。死ぬまで所有するつもりで、誰の眼も届かないところにをおいて、俺だけしか眼に入らないようにして、そうして全てを奪ったのに、…俺が、先にいなくなるだなんて。
 。俺は、この事実について、がどれくらい知っているのか、理解していたのか、正直言って最期まで解らなかった。解っていて、知った上で傍にいたのなら、そんなを馬鹿だとも思うし、そんな選択をさせた自分の浅ましさを、愚かだとも思うよ。それでも、――どうしても、欲しかったんだ。だからこそ、あんな事をしてまでを他のすべてから切り離した。人間としてその行為が正しくない事も解っていた、それでも、…が傍にいるという現実を前にしては、すべての罪悪感がかすんで見えた。

 他に手段は沢山あった。だけど、何かに構っていたり、手を回したり、そういう事をする余裕もなかったし、正直言って思い浮かびもしなかった。俺以外の選択肢がなくなればよかった。ただ、それだけで、それだけのために俺はから全てを奪った。未来も、――家族も。
 解ってたんだろう? の父親の会社を潰して、間接的に彼を死に追いやったのは、他でもない俺だよ。


 
 傲慢な事を言うけれど、俺は、・・・それについて、ゆるしてほしい、だとか、謝りたい、だとか、そう言う事を思ってるわけじゃない。そんな事を思って、いままで過ごした全ての時間を否定することは、どうしても俺には出来ない。だって、俺は、一度も後悔なんてした事がないんだから。

 今も、残酷なことばかりを思ってる。。どんな顔をしているのか解らないけれど、これを読んだの傍に、俺がいれたらと思う。触れたい、肩を抱き寄せて、抱きしめて、生まれる感情の全てを受け止めたい。 。信じてくれないだろうし、こんな言葉がにとって何の意味も持たない事を解っていて、なお、書くけれど。幸せにしたい、そう思ってた。俺が、を通じて見る幸せを、すべてにかえしてあげたい、と。
 こんな俺の呪縛にも似た感情から逃れられた事のほうが、にとっては幸せな事なのかもしれない。それが、どんな形であれ、誰から与えられるものであれ、 今でも願ってるし、きっと、死んだ後も祈り続けるだろう。どうかが幸せであるように。おかしな話だよ。知ってると思うけど、俺は、死後の世界なんて信じちゃいない。それでも、今、何も考えずに見守っているかのように書いた、・・・こんな変化が、たくさんあったよ。。何回も思った。世界が美しい、いとおしい、明日を迎えたい、・・・明日も、傍にいたいって。

 手紙なんて、もう何年も書いてないから、そろそろ書くのにも疲れてきたよ。勝手な事ばかり書いたね。
 贖罪、とは言わないけれど、最後にひとつだけ。あって困るものじゃないだろうし、全てはに任せるよ。とにかく、詳しい事については同封した書類に詳しい。解らない事があったら、波江が何とかしてくれるだろうから、彼女を頼るように。ああ、そういえば、波江は君の事を気に入ってるみたいだから、俺がいなくなったあとでも二人の関係が良好である事を願うよ。これぐらいなら、許してくれるだろうしね?


 、                    、


                                                      折原 臨也






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 署名をして、ペンを置く。痛みを訴える右手を何回かぶらぶらと動かして、ついでに首を何度か左右に倒す。ましろな便箋とそこに並んだ文字。どういうつもりで書いたのか、未だに自分でもよく解らない。一度でも読み返してしまえば、書いた事を後悔するだろう。気が代わる前に封をしようと、思っていたよりも枚数の増えた手紙を2回折りたたむ。今まで抱え続けたすべてを、こんな手紙で、言葉なんかで書き切る事などできない。解っていてなお、手紙を書いた。

 どうしても、言いたかった言葉がひとつだけあった。言えずにいなくなる前にと、その言葉のために書き始めた手紙だったように思う。結局書けずじまいだった。
 あの時、が伝えてくれた気持ちのどれほどを、文字で伝えられると言うのだろう。きっと、伝わらないだろう。薄っぺらで、嘘みたいな響きで終わる。真偽を問われるような言葉ならば、胸の奥にしまったまま死んだ方が重みを増して届くような気がした。――結局、呪詛じみたものにしかならない、愛の言葉。届かない方がのためなのだろう。

 封筒に宛名と、手紙として届けられる最低限の情報を書いて、ぞんざいに便箋を押し込んだ。どうしてだろう。どうして、傍にいなくても、何も言葉がなくても、誰かを想うだけで涙が出るんだろう。恥も外聞も何もかも捨てて、封筒にくちづけてしまいたかった。押しあてた回数だけ、胸にある気持ちが届くのなら、きっと自分は恥かしげもなく何回も何回も触れた事だろう。

 いとおしく思う人の幸せを遠くから願う。
 きっと、そんな美しいものじゃない。出来るならば傍にいたい。でも、胸にひろがるのは、やはりどうしたってその一言で、そこにはなんの雑り気もなかった。

 
 ただ、ただ愛しい君のしあわせを願うよ。


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たとえ、もうこの眼は開かなくとも