やあ。そろそろ来る頃かと思っていたよ。新羅から聞いたんだろう? いくら正確な情報のためとは言え、こんなところに差し向けるのはどうかと思うけどね。どうぞ好きなところに座って、話は長くなるだろうしね。コーヒーでも? いらない? そう。解ったよ、俺としてはゆっくりコーヒーでも飲みたいところだけど、そんなに急かされては仕方ない。話してあげるよ。――料金? いいよ別に、君みたいな大金も持っていないような人間から巻き上げるほど俺は鬼じゃない。タダより怖いものはない、とは思うけどね。まあ実際、これはギブアンドテイクなんだよ。君は情報を欲しがっている、俺はあの事について正確に記憶しておきたい。そのために君の、貴重とは言いがたいが、まあ人類に平等に与えられた時間をもらっていくんだ、別に構わない。

 その代わり。
 話がどんな結末で終わろうと、その文句を俺に言うのはやめてくれると有難いね。疑っているみたいだけど、実際のところ、今回の事について俺は全く関わっていない。それどころか、あんな事になるだなんて思ってもなかったんだ。平和島静雄は手に負えないと思っていたが、まさかあそこまでとはね。本当に軽くこっちの予想を超えてくれるんだから、たまったもんじゃないよ。ああ、これは君にはどうでもいい話か。


 池袋の喧嘩人形、平和島静雄について知っている事は何も? そう、彼はすばらしく発達した化け物じみた体を持っていた。どんなに研ぎ澄ました軍用ナイフを使っても、車にはねられても傷つかない鋼のような肉体と、ガードレールや標識を軽々と持ち上げることが出来る冗談みたいな筋肉。人間が持ち得ない特徴を持った、一世代の怪物。常にバーテン服を着た、長身痩躯、見た目からはそうと解らない力の持ち主、それが平和島静雄だった。

 彼の容姿はそう悪くはない。それどころか、弟には俳優の羽島幽平がいる事からも明らかなように、一般的に見れば整った容姿の人間で、自ら染めた金髪が彼の容姿をより人形じみたものにして、さらに人間を遠ざけた。池袋では、バーテン服を着た金髪の男には気をつけろ。平和島静雄を知らなくても、喧嘩人形は有名だったし、知っていれば誰も彼には近寄ろうとはしなかった。実際、高校時代なんかはその外見から、何も知らない女子生徒に好意を寄せられる事も多々あったけれど、その能力が喧嘩で知れ渡るや否や女は平和島静雄を恐れて近寄ろうとはしなかった。……白々しいって? 何の事だか。
 そこに、彼女が現れた。


 彼女との出会いは偶然だった。週末の池袋の深夜に近い時間、飲み会が終わって電車を逃した人間が駅前でうろつくような時間だ。その日の喧嘩人形は朝から機嫌が悪かった。そこにきて、目の前で嫌がる女子に対して複数の男が強引に“遊び”に誘っている。平和島静雄は酔っ払いと、男が力に任せて女をどうこうしようという事が大嫌いで、気付いた時にはいつもの調子でキレて、さすがにガードレールなんかは使わなかったけれど手当たり次第にぶちのめした。どう思ったんだろうねえ、助けられた女も、助けた平和島静雄も。やっちまった、と思ったのかな。女は恐れたかもしれない。でも、それが2人の始まりだった。

 平和島静雄は、とそうして出会った。まるで少女漫画かラブロマンス映画みたいな陳腐な出会い方だったけれど、喧嘩人形には一種お似合いの、人形劇みたいなシチュエーションだったとも言える。女は助けてもらったのだからと震えを抑えて礼を言う、喧嘩人形はそっけなく簡単な言葉で応じるだけ、それがどう発展したものか。

 生憎と過程は知らないよ、さすがに情報屋と言えど他人の色恋にまで首を突っ込むつもりはない。それが、あの平和島静雄の恋ならなおさらだ。――まあ、首は突っ込まなくても、くちばしは挟んだけどね。化け物と本気で付き合う女がこの世にいると思ってるの? とかは、言ったかな。おお怖い、そんなに怒っても――もう全部、忘れられた過去の話だよ。

 とにかく、2人は陳腐かつ安っぽい出会いを果たし、気付けば付き合っていた。ああ、すぐに別れると思ってたよ。俺が手を出すまでもなくね。だってあの平和島静雄が! 恋! いったいどれほどの変化をもたらすものか、どんなひどい別れを迎えて、どんな言葉でそれをからかってやろうか。ああ、うん、特に何をしたわけじゃないよ、これだけは嘘じゃない。平和島静雄に対しては、さっき言ったみたいな事を言ったりはしたけど、それ以外は別れさせるために積極的に行動を起こした事は一度もない。ましてやに対してある事ない事吹き込んだりとか、そういう事もしていないよ。そんな事しなくても、いつか別れるだろうと思ってたからね。

 あとはまあ、あまりにも安っぽい幸せに浸ってるもんだからさ…、つまらなくなった、というのもあるかな。興味がなかった。真意? さあね。悪いけど、君が思ってるみたいな善良な理由からじゃない。話を続けよう。コーヒーは? そうだね、それがいい。まだ出会ったばかりだ。話は長い。ミルクと砂糖は? そう? 彼女と同じ嗜好だ。何故知っているのかって? 一度コーヒーを一緒に飲んだ事があるからね。まあ、その事も、話を続ければ出てくるだろう。


 さて。2人はそうして付き合いを始めた。関係は喧嘩もなく良好、というわけではなかったが、何度か危機を乗り越えて、ふたりはまあそれなりにうまくやっているように見えた。新羅なんかはあの二人をいい関係だと言っては、このままうまくいくといいね、なんて言ってたものだ。まるで、うまくいかないことが解っているかのように、それを遠ざけるかのように常にね。付き合いは進み、の事を弟や上司に紹介するにまで至った。警戒心の強い動物みたいな男が、心を許している身内や知り合いに恋人を紹介したんだ。平和島静雄にとっての存在はそれほどまでに大きくなっていた。彼らからの反応もよかった。弟なんかは、最初は兄を騙しているんじゃないかと警戒していたものだが、実際にを見て印象を変えた。いや、と一緒にいる時の兄を見て、かな。喧嘩に明け暮れていた兄が幸せそうに笑ってるんだ、弟としては祝福せざるを得ない。周囲にも認められ、2人は全く順風満帆、そんな時だ。
 あれは、5月の事だった。