いつもはゼラニウムの香りがする臨也の事務所は今日、カレーの匂いに包まれていた。

 おなかすいたーと言いながら家に入ってきた彼女は、冷蔵庫の中身と戸棚をいくつか確認すると、エプロンをつけてそれきり台所に閉じこもってしまった。今日あった愉快な事について、いつものように話したかったのに。臨也はそう思いながら、じいっと定位置である椅子に腰かけて、書類やパソコンの画面を見るともなしに眺めて時間を潰していた。正直なところかなりさびしい。いつもだったら真っ先に俺の顔を見にくるのに。そう思い、その“いつも”があるからこそ自分から顔を見に行くのはなんだか癪だった。何よりさびしいからとのこのこと台所に行くのはいささか馬鹿げていないか? 馬鹿げていないにしても、少しばかり浮かれすぎじゃないか、折原臨也。いわゆる恋というものに。
 そして、素直な感情と見栄では見栄が勝つあたり自分らしいと臨也は半ば投げやりな気持ちでそう思う。彼女が帰ってきた時から調べ物はすべて中途半端に放り出してちっとも進んではいない。波江がいなくてよかった。いたら間違いなく馬鹿にされている。そして実際馬鹿だ。

 カレーに負けてさびしい。
 さびしいと素直に言えなくてほとんど意地をはっている。
 これを馬鹿と言わずになんという。恋をしている。そう言うしか他にない。

 おそらく世の便利な発明というものは、恋人との時間をできる限り捻出しようとした熱情から生まれたのではないだろうか。そんなことを考えるぐらいには頭はいかれている。暑いからという言い訳はそろそろききそうにない。ならばやはり、恋をしているから。

 臨也は苦く笑って、ようやく書類に手をつけた。
 あと5分経ってもカレーが出来あがらなかったら、その時は台所まで迎えに行くことにしよう。


 (しあわせのかおり)