太刀川。呼び止めて、けれど何も言えずに私は首を横に振る。太刀川は眠たげに垂れた瞳で私を一瞥して、何も言わずに立ち去った。黒いコートを翻して歩く背中には迷いがなくて、芯が通ったみたいに真っ直ぐで、いつも通り私の喉を絞めつけていく。 ――私も、君みたいに生きたい。 そう口にしようとして留めたのは、最後の矜持だった。そんな事を言って何になる。彼に何が言える? 「さんがそうしたいならそうすればいい」。これが最善で、「あなたには無理だよ」が最悪の答えだと、尋ねる前から知っている。そしてどちらの言葉も私を助けてはくれないのに。 太刀川には正しさなんて必要ない。私が今、心から欲しがってやまないような、甘っちょろい言葉なんて太刀川には意味がない。もっともっとシンプルで、研ぎ澄まされていて、野生の動物みたいな太刀川。私だって叶うならそうなりたかった。何にも惑わされることなく突き進んでいけるような人間になりたかった。常識なんて届かないところで息ができるような、人間に。 私はいま、自分の判断が間違っていないことを、誰かに全面的に肯定してほしいのだ。誰かに認めてほしい。それが誰であっても構わない。大丈夫だと、私は悪い事をしていないと、赤子をあやすように根気強く私にささやき続けてほしいと願っている。 なんてことはない。ただ忍田さんから教わった人間が二人とも離れていくだけの話だ。気に病んでいるのは私だけで、裏切ったと思っているのだって私一人で、忍田さんはそんな風に考えていないだろう。けれど私は確かに忍田さんを裏切ったのだ。ボーダー内での保身のために、私は忍田さんを追っていくことを諦めた。そんな決断をしたのは自分自身のくせに、忍田さんが今ごろ私の事をどう考えているのかなんて事を考え始めては眠れぬ夜に苦しめられている。 大丈夫だよ、と。確かに忍田さんはそう言ったけれど。言葉の裏側に何を隠しているかなんて誰にも知りようがない。 肩についたエンブレムを握りしめて息を吐く。太刀川の幻影がまぶたの裏から消えない。何をどうしたら、そんなにもまっすぐに自分の道を行けるのだろう。太刀川と忍田さんみたいな関係が私と忍田さんの間にもあったなら、私だってもう少し楽に前に進めたのだろうか。私が太刀川みたいだったら。私が、私が、私が。 太刀川の背が私を苦しめるわけじゃない。忍田さんの優しい言葉だって同じ。いつだって自分の首を絞めるのは自分の腕で、どうやったら引きはがせるのかを私は知らない。どこまで行けば、誰かと、――太刀川と自分を比較して、苦しむことから解放されるんだろう。理想から遠い自分を受け入れられるようになるんだろう。いちばんにあいされていない、ということを、認められるようになるんだろう。 ――認めたその先で、いったいなにが、私を救ってくれるんだろう? |